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(管理員)草草一刀 | 02-Oct-08 | 極品竹刀 | (788 Reads)

 tai

仙田工房 手作竹刀 大黑

2008.9.27  劍視主編  草草一刀  誠贈予

タイ捨流 劍術第十三代宗家 山北竹任 先生存傳

宗家深居簡出於人吉市郊外  タイ捨流劍術 龍泉館道場

 

【タイ捨流剣術】

始祖は球磨出身の剣豪・丸目蔵人佐(くらんどのすけ)藤原長恵(ながよし)。永禄時代(1560年代)、20歳のころ京都にのぼって新陰流(又は神陰流)の流祖・上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)秀綱の門人となって本格的な修練を始めた。

 めきめき上達し、柳生但馬守宗厳(やぎゅたじまのかみむねよし)らとともに伊勢守門下の四天王の一人と呼ばれた。永禄7年(1564)、24歳のころ師の上泉伊勢守と新陰流極意の天覧試合を行い、将軍足利義輝から連名の感状を受けたほどであった。

 やがて28歳で新陰流極意の印可を得ると、翌年相良(現人吉市)に戻り、相良藩の兵法指南役を勤めた。薩摩との戦に明け暮れる中で京にも修行に上り、新剣法を工夫してタイ捨流を始めたといわれる。時期的には元亀年間(30歳過ぎごろ)とも、天正13年(45歳)前後ともいわれる。

 技は新陰流の真髄に真言密法を取り入れ、自分も生かし、相手も生かす「活殺剣法」で、形の最大の特徴は、右半開に始まって左半開に終わり(逆足)、すべて袈裟(けさ)斬りに終結する独特の構えにある。
 袈裟懸け(斜め斬り)に斬り下げ斬り上げるほか、体を飛び違えたり、空手で相手の目を打つなど豪壮な形は演武会でも目を引く。
 
 代々人吉地方に伝えられ、昭和37年、12代小田夕可(せつか)が県の無形文化財に指定されたが、38年に死去したため指定解除。同年、現在の山北竹任(たけのり、小田夕可の実子)が13代を伝承した。

 「タイ捨」の「タイ」には、体、太、対、待の意味があると説明されるが、これは免許皆伝書に「理と業とよく合って修行工夫の結果、久しくて悟あるべきこと 依りて仮名に書きたるはいづれにしても心通じ心広く達するの意なり」と書かれていることによる。タイ捨流剣術のなかに居合術も含まれる。

◇系統 丸目蔵人佐長恵―神瀬草助・太神惟幸―相良庄次郎頼武―神瀬五右衛門惟宜―小田七郎右衛門定矩―小田夕可―小田直左衛門定能―小田金駄左衛門定記―小田八郎左衛門定直―佐無田忠蔵良興―小田夕可定孝―山北竹任定宗


◇練習場 球磨郡錦町、熊本市ほか


[1] 好奇一問

細看之下日期是2008.10.27
但現在才2008.10.03
標題卻是已贈予,所以好奇一問草草一刀先生正確日期是9月還是10月


[引用] | 作者 Nave | 03-Oct-08 | [舉報垃圾留言]

[2]

熊本縣的人吉市真是奇妙的地方
不但有泰捨流的宗家居住
連日本唯二的其中一位八段二刀流劍士
八木夫兵衛先生
也住在這兒
真是玄之又玄,妙之又妙啊~


[引用] | 作者 ckkc | 05-Oct-08 | [舉報垃圾留言]

[3]

人吉 是一個令人心安靜的地方,很安靜的,人便慢慢沒有什麼物慾貪念,亦有好水穿過-球磨川,亦是風水吧,人結地靈。4百年前 丸目藏人 回到此便不再離開.......實乃一合修行之地


[引用] | 作者 草草一刀 | 05-Oct-08 | [舉報垃圾留言]